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untitled photographs #37

Thursday, 25 July 2013
RICOH GR (2013)

tumblrを始めてみると、世の中素晴らしい写真を撮る方がいらっしゃる。
プロなのかそうじゃないのか、でもそんなことはどうでもよい。
よい刺激をいただけるとともに、自分の写真が嫌になります。

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Comments

プロなのかそうじゃないのか。僕も同感です。
つい数日前に、ある写真家のブログを読んでズシンと響きました。
「誰かに写真を見てもらうという行為の中で、自分が何を撮っているのか、なぜこの写真なのか、写真で何をしたいのか、 最低限、これだけはきちんと文章で説明できなければいけないと思う。音楽でも絵画でも、言葉で説明することにより、作者の意図がより明確に伝わるようになる。きっと写真も同じだと思う。上手く説明できないということは、何を撮っているのか自分自身が良くわかっていないということになる。言葉にできないから写真にする、という解釈もあるけれど、写真は現実にあるものしか写らない。どう頑張っても、未来や夢や理想は写らない。」
未来や夢や理想を被写体に「投影」することはありますが。いかがでしょうか。
5月にブログを始めてから、写真を見てもらうということを考えるようになりました。写真は、「目の前の景色を自分のモノにしたいという所有欲」とどこかで聞きましたが、僕もそうです。ブログ自体は記録が目的だけど、気にいらない写真をUPしても仕方がない。撮りっぱなしではなくブログにすることで、写真や頭の中を整理出来るんだなとこの年齢になって改めて感じました(笑)何を撮っているのかよくわかっていない。うーん、そういうことあります(苦笑)さらに言うなら、何に心を動かされたのかが写真からあまり伝わってこない。被写体に自分の何をどれほど投影したのか。心の動きと撮った写真のギャップ。これらを言葉で明らかにすることで、気に入る写真枚数が増えることを期待したいです!
これらを踏まえた上で、撮るということを楽しむこと、つまり心が動いたときにシャッターを切ることが僕のこれからだと書きながら思いました(笑)考えた上で心の赴くままにということです。えー、僕はかわたつさんに何を伝えたいのか…言葉でも伝えるのは難しいです(笑)話を聞いて欲しいだけなのかもしれません(^^;;このような考える場を頂きありがとうございました。でも、人様のブログのコメントに書き込むにしては長いですね…失礼しました!

Posted by: yokosuke | July 26, 2013 at 14:56

yokosukeさん:
いやいや、私も共感しながら拝見しました。
何となく知ったところによれば、海外では、どういう意図でこの写真を撮ったのかと訊かれて何も答えられないようではダメだそうです。
明確な意図やテーマがないといけない。その背景には、その写真家さんがおっしゃるような考え方があるのだと思います。

一方、日本ではいわゆる「何気ない日常」を捕らえた「雰囲気写真」が多いと思います。
少なくとも以前なら、海外から見た日本の写真は異質に見えたかもしれません。
あるいは日本において写真を生業とする方々から見ても、この微妙で繊細な雰囲気を捕らえた「個または自我の視点」としての写真に
同様の食い足りなさや未熟さ、非社会性または「独善的な無個性」のようなものを感じ、辟易しているのかもしれません。

しかし、それを何となく理解していながらも、私はその「言語化できないけど、写真で表現される何かザワザワしたもの」に惹かれます。
それは明確な意図やテーマをもって撮られたものではないかもしれないし、理由や背景を言葉で説明できないのかもしれません。
それでも何となく共感し、あるいは理解できたような気になる写真というのは、言語を超えた先にある新しいコミュニケーションの形だと思います。
ネット上にありとあらゆる写真が氾濫し、写真が一部の特殊な人間だけのものでなくなった今だからこそ。
ネット上に漂流し背景を取り去られた写真に込められた意味、テーマなんて、説明が無いかぎり私たちには知りようがありません。
だからそれを想像するのも楽しみ方の一つです。

写真人口は増えましたが、「写真の見方がわからない」人が増えていると嘆く声もあります。
私も海外や日本の写真家の写真集を少なからず所有しておりますが、それでも写真の見方はよく分かっていないと思います。
一方で、最近では海外の方のお写真においても、ある種日本的な「雰囲気写真」が増えてきているように感じています。

自分の写真を言語化することと、その一方で心の微細な動きや機微を捕らえ、まさに「心の赴くままに」写真を撮ること。
yokosukeさんのおっしゃるまさにそのスタンスこそが、写真の昔とこれからを結ぶ正しいあり方なのかもしれません。
私も書いていて何を言いたいのかよくわからなくなってきましたが、いろいろ考えてみると、やはり写真は奥深いなと感じます。
写真を趣味としている幸せを改めて感じています。こちらこそ考える機会をいただきありがとうございます^^

Posted by: かわたつ | July 26, 2013 at 23:11

かわたつさん、こんにちは。空のトーンが素晴らしいです。いつも自分の写真とのレベルの圧倒的な違いに愕然としています。
自分としてはかわたつさんの写真のような、無機質のものの本質を見いだすような写真を目指しているところがありましたが、これがどうにも上手く行かなくて、ちっともいい写真が撮れない。そのうちに、人物、しかも女性中心のスナップ写真に変わってきてしまいました。いかにも雰囲気写真の典型みたいです。
しかし、今日国会図書館で写真集をいくつか見てきました。あそこはどんな本でも読めますし、写真集も揃っています。ある二人の写真家の写真を見ているうちに、少しだけ自分の写真の方向性が見えたような、いまのままでもいいような気がしてきました。
いろいろ考えても、理屈をこねても、所詮人は興味があるもの、自分が感動するものを被写体にすることしか出来ないのではないでしょうか。いいな、素敵だな、と感じたものに対して、その写真で何をしたいか、という問いには、後付けの答えしか出て来ないような気がします。などという偉そうなことを言う程上手くもないですし、ブレとボケばかりの写真ですが、これからも街の素敵な人々を撮っていこうという気になりました。

Posted by: | July 27, 2013 at 00:24

↑ また名前わすれました。rickywhoです(^^;;

Posted by: rickywho | July 27, 2013 at 00:28

rickywhoさん、こんばんわ^^
この日は空が素晴らしかったわけですが、その後の悪天候の予兆だということが判明しました。
せっかくの土日は雨で撮影が楽しめそうにありません。。

レベルの違いなんてないと思います。誤解があったかもしれませんので申し添えますが、私はいわゆる雰囲気写真をむしろ擁護する立場です。
何と言っても私自身が雰囲気写真を撮っているからというのもありますが・・・^^
もっと言えば、スナップ写真は雰囲気写真とは違い、より明確な意思と踏み込みと決意があるのだと思います。

自分が感動するものを被写体にすることしかできないというのは、私もおっしゃる通りだと思います。
心が動いたからシャッターを切るわけで、まさに「心の赴くまま」、感動を記録したくて撮るという根源的な欲求だと思います。
つまりは、理屈より感性が先立つのが写真であり、その写真の完成度に磨きをかける手段の一つが理屈なのだと解釈しています。
rickywhoさんは、街の人々の素敵な表情を写真に収めたいという明確なテーマをお持ちですが
一方、明確なテーマも設けず、その場に居合わせてみないと何を撮るかもわからない私には、理屈も必要なのかなと感じています^^

Posted by: かわたつ | July 27, 2013 at 01:01

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